2011年6月25日土曜日

開発経済学 第11回(6/24)

 今回は援助についてです.皆さんにとって新たな発見が多かったのではないでしょうか.

【授業の内容】
 まずLive AidとLive8の画像を見てもらいました.どちらも世界的な貧困救済イベントであり,Live8については知っている人もいるでしょう.これらのイベントは貧困を減らすことに繋がったのでしょうか.

 さて援助ですが,今回はドナーの中でも特に国際機関を中心に取り上げました.国際機関が果たしてきた役割や成果を歴史を追って見ていきました.
 1940年代,ブレトン・ウッズ体制の誕生です.中心人物には皆さんがマクロで学んだケインズもいます.ブレトン・ウッズ体制で欧州は戦争の傷跡から復興しますが,その後,そこでの成功体験をそのままアフリカに期待するという失敗もしています.また当時,アフリカは2大大国のヘゲモニー争いの場にもなっています.
 1960年代,アフリカの時代と呼ばれたこの時期,アフリカの多くの国が独立を果たしますが,独立後も旧宗主国との結びつきは切れておらず,旧宗主国からの援助(特にインフラ等の大規模産業プロジェクト)が特徴的です.
 1970年代,アフリカへの援助は大きな転換を迎えます.これまでのインフラ重視の援助の行き詰まりから,貧困対策が大きなウェイトを占めるようになります.
 1980年代,累積債務問題が深刻化し,IMFや世銀による構造調整政策が行われます.構造調整とは,条件(コンディショナリティー)つきの融資であり,その条件とは,経済の自由化,開放化であり,新古典派的な市場の競争力に重きを置いた政策を理想としています.この構造調整を受け入れたアフリカや東欧の多くの国が経済にブレーキを掛けてしまった一方で,構造調整を受け入れなかった東アジアの諸国は後に「東アジアの奇跡」と呼ばれる急成長を遂げます.

 この構造調整政策が失敗した理由はいくつか指摘されています.スティグリッツは途上国それぞれの発展段階を無視し,画一的な条件を課してしまったためであると批判しています.それ以外にも,ファンジビリティ(資金の流用可能性),コンディショナリティーが破られた場合にも融資が続けられたためにインセンティブが働かなかった等の原因が指摘されています.

 1990年代にはレシピエント側のガバナンスが注目を集めました.Burnside and Dollar (2000)は受入国のガバナンスが良好な場合に限り援助は有効に働くという研究を発表しました.この研究によりガバナンスの重要性がより一層注目されることになりました.

 最後に1990年代以降注目を集める参加型開発についても触れました.これは,ドナーからの一方的な援助ではなく,レシピエント,特に現地住民の意見を開発政策に採り入れるべきであるという考え方です.

 皆さんにはこれまでの知識を踏まえ,「どんな援助は貧困を削減できるのだろうか?」という問いを考えてもらいました.

 

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