2010年10月16日土曜日

経済学A 第4回(10/12)

 今回は前回に引き続き経済学の歴史の説明とともに,マクロ経済学の基礎を紹介しました.

【授業の内容】
 授業の冒頭では,前回の続きではなく,少し経済学の本流から離れ,マルクス経済学(通称:マル経)の話をしました.日本に住む私たち,特に皆さんのようにソ連崩壊後に生まれた人たちにとっては,社会主義や共産主義といっても,なかなかピンと来ないと思います.
 日本を始め,現在の先進国は市場経済です.市場経済とは市場において,財(モノやサービスのこと)の生産量や価格が決められる経済です.一方,計画経済とは,国家が財の種類や生産量を決定し,人々に配分する経済システムです.計画経済が上手くいかなかった理由は主に2つあると考えられます.1つ目は,情報の流れが一方的で,計画立案に必要な情報が十分に入手できなかったことです.どんなに優れた人々であっても,少数の人々が経済全体を把握しようというのは困難です.市場経済では,無数のプレイヤーが市場を通じて互いに情報を交換しあうことができます.もう1つの理由は,インセンティブです.計画経済ではより優れた商品を,より効率的に生産しようというインセンティブがあまりありません.一方,市場経済では,優れた財を生産,また優れたアイディアを発明すれば,それが市場を通じて報われるため,人々は常に創意工夫します.これが新たなイノベーション(革新)を生み出し,経済に活力をもたらします.計画経済のもとでは人々が平等となり,ある意味で理想的な社会と言えるかもしれませんが,その実現が困難であることは,その後の歴史が証明しました.

 さて,本題に戻りましょう.1929年に起こった世界大恐慌を機に,経済学の表舞台に現れたのがケインズ派です.ケインズ派の代表格は,名前の通りケインズです.
 古典派とケインズ派は,経済の根本の理解が大きく異なります.古典派は供給(総生産)の大きさが需要(総支出)を決める「セイ法則」を信じていましたが,一方のケインズ派は需要の大きさが供給を決めるという「有効需要の原理」を信じていました.この違いは現実の政策に大きな違いをもたらします.セイ法則によれば,需要は供給の結果として生まれるので,重要ではありません.経済を成長させるためには,とにかく生産能力を高めれば良いのです.一方,有効需要の原理によれば,供給の大きさ(つまりGDP)を決めるためには需要の大きさこそが重要です.つまり,経済成長(や景気回復)させるためには需要を大きくしないといけないわけです.この考えの下,アメリカではルーズベルト大統領がニューディール政策を実施し,大不況から抜け出すことに成功します.
 もう1つ,古典派とケインズ派の大きな違いがあります.それは「市場に対する信頼」です.古典派は「神の見えざる手」に象徴されるように,市場の機能を信頼しています.そのため,政府は最小限の介入しかしないことになります.一方のケインズ派は市場を信頼していません.市場は不完全なもの(市場の失敗)であるため,政府が積極的に介入すべきだと考えています.このように積極的に市場に関与する政府は,大きな政府と呼ばれています.大きな政府では,積極的に介入するため,自動的にその財源となる税率も高めです.
 大恐慌以来,ケインズ派は経済の主役であったと言っても良いかもしれませんが,一部の国ではその座から引きずりおろされることになります.その国とはケインズを生んだイギリス,そしてアメリカや日本などです.

 ケインズ派の積極的な介入は,経済の下支えの役割を果たすことに成功しましたが,長期的に見ると弊害ももたらします.短期的には有効な薬なのですが,長期的に薬を飲み続けることによって,その薬の副作用である,財政赤字が蓄積され,巨額なものになってしまいました.政府が積極的にお金を使うと景気は回復するかもしれませんが,その財源は税収です.税金が足りない場合には国債を発行して(国の借金)賄います.借金である以上,時期がくれば返済しなければなりませんね.あまりに返済額が多くなると,税金を集めてもその多くは返済に充てられることになり,有効に活用することができなくなります.
 このように巨額の財政赤字を抱えた国々はケインズ派を捨て,改めて古典派(新古典派)に回帰します.つまり,政府の役割を最低限にし,民間の活力に期待するのです.このような政府は小さな政府と呼ばれます.その考えの下,日本でも1980年代には,国鉄,電電,専売の3公社が民営化されました.また規制緩和により,民間同士の競争が促進された時代でもあります.
 新古典派は,市場における競争を重視します.ただし,競争は勝者だけでなく敗者も生み出します.そのため,新古典派的な政策を良しとする小泉政権下で貧困や格差が社会問題として顕在化したのも当然かもしれません.

 さて,結論としてケインズ派と新古典派,言い換えれば大きな政府と小さな政府,これらのどちらが良いのでしょうか?その答えは「何を目的とするか?」によって異なるでしょう.おそらく「あまり経済成長しなくても,とにかく平等な社会が理想的だ」と考える人は大きな政府が良いと考えるでしょうし,「少しぐらい格差が生まれても,自由な競争により経済が成長することが理想的だ」と考えれば小さな政府が良いのかもしれません.
 僕個人としては,大きすぎる政府には反対です.やはり新しい技術やサービスは,自由で公正な競争があってこそ生まれるだろうと考えるからです.結果として貧困が生まれること,格差ができてしまうこと,これらは望ましいことではありませんが許容されると思います(ここは意見が分かれると思いますが).許容してはいけないのは,格差が生まれることではなく,格差や社会階層が固定してしまうことです.つまり,一度貧困層になってしまうと努力しても抜け出すチャンスがない社会,貧しい家庭に生まれると十分な教育を受けられない社会,このような社会であってはいけません.それは思想の問題ではありません.そのような社会は,全体として効率の悪い,劣った社会であるからです.ただ,残念ながら日本は少しずつ,そのような社会になってしまうのではと危惧しています.

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