2011年5月28日土曜日

開発経済学 第6回(5/20)

今回は工業化と貿易,特に輸入代替工業化政策と輸出指向工業化政策の違いについて説明しました.

【授業の内容】
 意識しなければなかなか気づきませんが,近年,各国はFTA呼ばれる自由貿易協定を競うように結んでいます.なぜ自由な貿易を目指すのでしょう?ミクロ経済学ベイシックではリカードの比較生産費説を学びましたが,どうやら理由はそれだけではないようです.

 第二次世界大戦後,独立したてのアジア諸国の多くはモノカルチャー経済というスタート地点から経済成長を目指しました.かつてはモノカルチャー経済から経済成長を進め,先進国へと仲間入りした国々もありましたが(アメリカやカナダなど),その当時と異なり合成品・代替品の発明により必ずしも特産品が国際市場で高く取引されるとは言えません.また先進国の保護貿易主義もあり,モノカルチャー経済を押し進めての経済成長は困難でした.
 いくつかの国々は保護貿易主義的な工業化である輸入代替工業化政策を採ることで,経済成長を目指しましたが,輸入代替工業化政策には思わぬデメリットがありました.保護貿易を採ることにより幼稚産業の育成を目指したのですが,為替を自国通貨高に誘導したことで輸出条件は悪化したため,国内で生産した財の販売先が国内市場に限定されます.ある程度の中流階層がおり,購買力のある国ならそれでも良いのかもしれませんが(現在の日本の携帯電話のように),当時のアジア諸国は貧しく,さらに貧富の差もあったため,国内市場だけを相手にして生産していたのではスケールメリットが生まれません.また輸入品をシャットアウトしていたため,海外の優れた財との競争も生まれませんでした.そのため,なかなか輸入代替工業化は進みませんでした.
 一方,シンガポール,韓国,台湾,香港などは,自由な貿易による輸出指向工業化政策を採りました.これらの国々が高い経済成長を成し遂げたことにより,その他の国々も多くは1980年代には輸出指向工業化政策へと転換しました.
 輸出指向工業化政策はどこが良かったのでしょうか?輸入代替とは逆に競争が促進されたことに加え,技術伝播による学習効果もあったと考えられます.
 技術移転に関連しては,ヴァーノンのプロダクト・ライフ・サイクル論も紹介しました.これは様々な財で実現していますね.日本もかつては繊維産業が隆盛を極めましたが,日本の前はイギリスでした.しかしイギリスが豊かになり労働者の賃金が高くなると,より賃金の低い日本へと生産の中心が移ってしまいました.しかし,日本も経済成長するに従って,安い賃金を売りにできなくなりました.より賃金の安い国(中国など)へと仕事を奪われました.そして中国の労働者の賃金が高くなると,さらに賃金の安い周辺国へと移っていくのは必然とも言えます.ちょうど前回の二重経済の所で,中国の余剰労働が枯渇してきて賃金が上昇してきた,という話と関係がありますね。

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